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書籍から喪失を学ぶ

著者から喪失に対する考え方や勇気を学んだ本のご紹介。

家族を亡くしたあなたへ 死別の悲しみを癒すアドバイスブック

タイトル 家族を亡くしたあなたへ 死別の悲しみを癒すアドバイスブック
著者 キャサリン・M・サンダース 著
著者経歴
アメリカの臨床心理学者。死別の悲しみについての研究・カウンセリング・教育では、30年以上のキャリアがある。彼女自身、息子のジムを若くして亡くしている。
翻訳 白根 美保子
出版元 筑摩書房
アマゾンで購入 家族を亡くしたあなたへ

喪失に対する考え方や勇気を学んだ内容のご紹介

Page 9
はじめに
中段より引用
この本のプロローグは三世代にわたる私の個人的な死別の体験です。それをお読みになれば、愛する者を失った遺族の耐え難い痛みを私が身をもって知っていることがおわかりになるでしょう。自分が悲しみのプロセスのどの段階にいるかを 知ることは大切なことです。---中略
この本では死別の悲しみが始まったそのときから、それを乗り切るまでの全過程が説明されています。愛する人に先立たれた人は五つの段階を通り抜けていきます。つまり「ショック」「喪失の認識」 「引きこもり」「癒し」「再生」の五つの段階です。今のあなたはこの五つの段階のうち、いずれかの段階にいます。それぞれの段階についてもっと理解を深めれば、きっと次の段階への移行がスムーズになります。悲しみのさなかにある時は、 「このまま気が狂っていまうのではないか」と思うことがよくあります。それはごく自然なことです。この本はあなたが死別の悲しみを人間の自然な体験の一部として受け止められるようになるお手伝いをします。

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この本を読めば、自分のさまざまな反応を、癒しと再生のために通りぬけなければならない正常なプロセスの一部として受け入れることができるようになるでしょう。大切な人を亡くし を失うことは、私たちの人生において最もつらい試練です。でも、それと同時に「チャンス」も与えられています。悲しみのプロセスを乗り越えれば、前よりも強く、より有能な新しい人間として生まれ変わることができるのですから。悲しみを「乗り越える」 ための道のりは長く、つらく、多くのエネルギーと忍耐を必要とします。「もうやめてしまいたい!」と思うことも何度もあるでしょう。孤独と敗北感に満ちたこの時期、私たちには勇気のかけらも残っていません。それでも、何かが、先へ、先へと 導いていきます。その「何か」とはなんでしょう?神?摂理?人間を超えた力?・・・呼び方はどうあれ、この「何か」がいつかかならず、再出発するための力を私たちに与えてくれます。私はこう信じています・・・この長くつらい悲しみのときをくぐり 抜けるあいだ、何か人間を超えた力を頼りにできないとしたら、自分や他人を許す、愛する、大切な意味を持つ人間関係に自分を完全に委ねるといった、再出発に必要なことをするだけの力を持つことは決してできないだろうと。

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この本では、最終的には体験的な調査と臨床的な応用の世界を魂の世界と結びつけることになりました。死別の悲しみは感情的な側面や身体的な側面を持つと同時 に、魂に関わる側面も持っていると私はかたく信じています。悲しみのプロセスを理解するにはこの三つの側面をすべて受け入れなければなりません。この本を書きながら私が一番願っていたのは「悲しみのプロセスは段階を追って進んで行くもので 、自分の悲しみもその道を通って行くのだ」ということを読者のみなさんに理解していただくことでした。自ら死別の悲しみを何度も体験した者としてこれだけは言わせてください。
あなたもかならず今の悲しみを乗りきり、いつかきっと生まれ変わる ことができます。

Page 18
私の死別体験 1
---中段より引用
ジム(息子)が死んでから、私たちの家族はそれぞれに自分だけの世界に閉じこもりました。ジムの名前が口に出されることはほとんどありませんでしたが、彼の存在は家の真ん中ににでんと居座る巨大な岩の ようにつねにそこにありました。ハーシェル(夫)と私ははっきり理由がわからないまま、互いに責め合いました。一方、幼いキャサリンはかけがいのない兄を失うという苦悩にたった一人で立ち向かはなければなりませんでした。私はがむしゃらに動き 回りました。これまでもつらい時期はそうすることで乗り切ってきたのですから、今度だってそうすればいい・・・何でも自分で解決しようという、私の「自力本願」の精神がかってないほど活発に働きだしました。ジュニアカレッジにも通い続けました。 泣きはらした目を隠すためにサングラスをかけて授業に出たこともあります。教会での活動にもいっそう熱を入れました。神が私たちに勇気を与えてくださることを身をもって示そうとしたのです。なぜあんなことができたのかいまもわかりませんが、ジムが 亡くなってから二ヵ月後、私は教会で独唱までやってのけました。

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ところが、ジムが亡くなってから七ヶ月たった翌年の四月、猛烈な疲労感と絶望感が私を 襲いました。これまでも悲しくて泣き叫ぶことはありましたが、自分の部屋に一人でいるときか一人で車を運転しているときに限られていました。それも、たとえば車の中ではいくら叫んだりすすり泣いたりしても、信号で止まると他のドライバー に見つからないように何食わぬ顔をし、信号が変わって走り出すと同時にまた泣く・・・といったふうでした。でも、四月には、悲しみからくるストレスが私をしっかりととらえていました。カタトニア(緊張病)という精神病に近い状態になっていたのです。 以前空軍の軍医をしていたかかりつけの医師は、私の症状を「戦争神経症」と診断しました。当時の私にはしばらく現実から離れ、内に引きこもってエネルギーを貯えることが必要でした。でも、そうすることは必要なことであると同時に、息子との 死別体験の中で私にとって最も辛いことでもありました。

Page 20
私の死別体験 2
---中略
ジムの死を乗り越えるために私たちが戦いを続けていたちょうどそのとき、私の義理の姉は癌との生死をかけた戦いに挑んでいました。彼女は二度の乳房切除を受けていましたが、二度とも手術は成功し本人も 癌を克服したと信じていました。兄夫婦には子供がなくお互いに生き甲斐でした。癌が脊髄に転移していることがわかってから、病魔との戦いが二人の生活のすべてとなりました。二人は同じ州内とはいえ私たちとは離れたところに住んでいたので 、親戚からの助けを借りることもできず、当然ながら元気のよい友人たちの輪からも遠ざかっていたのです。

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やがて妻を亡くした兄は完全に打ちひしがれました。自分の世界が根底から崩れ落ちてしまったのです。自分に必要な唯一の人。最良の友であり、子供であり、心のやすらぎであった最愛の妻がいなくなってしまったのですから、・・・・・ 四ヶ月後、兄はクリスマスを私たちの家で過ごし、年があけた二日、眠ったままこの世を去りました。肺炎と過度の飲酒が原因でした。妻を亡くし、生きようという意志を失っていたのです。私はこの時から、愛する者との死別について学んで 見たいと思うようになりました。この深い苦しみの原因はなんなのでしょう?悲しみを乗り越えるのになぜこんなにも長い時間がかかるのでしょう?この問題についての心理学関係の文献はあまりありませんでしたが、ある程度学んだことが きっかけとなって、もっと徹底的に調べて見たいと思うようになりました。
Page 21
私の死別体験 3
専門家によって発表された研究結果の中には、妻を亡くした夫の死亡率が一般より高いという内容のものもありました。また、妻に限らず愛する者を失った人たちは病気になる割合が非常に高いという結果も出ていました。でも、とりあえず 身近なところで調査を続ける中で私が最も驚いたのは、愛する者との死別の際の人間のさまざまな反応について、情報があまりにも不足しているという事実でした。これほどの大きな悲しみ、心の痛みをもたらす問題だというのに、それに関する 調査研究はほとんどなされていなかったのです。

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その翌年のクリスマスは、娘のスーとその夫のベンが休暇を過ごしに私たちのところにやってきました。 スーは最初の子供を身ごもっていて妊娠六ヶ月でした。ベンは胸部外科医でヴァレイ・フォージ軍病院で二年間の任務についていました。私はその頃までに、愛する人と死別した人たちに会って話しを聞き、死別に関する研究に必要なデータ をかなり集めていました。このデータには比較のための対象郡、つまり、過去五年間に肉親の死を経験していない人たちが必要でした。スーとベンは最初の対象郡となり、調査表の質問に答えてくれました。二人は私の計画にとても興味を 持ち積極的に協力してくれました。仕事の場で死やそれにともなう悲しみに直接関わっていたベンの協力はとくに心強く感じられました。翌二月のはじめ、ベンは韓国への赴任命令を受けました。私たちは彼がベトナムへ送られなっかたことを 喜びました。当時、韓国では戦闘は行われていませんでした。---すくなくとも私たちはそう思っていました。それに、スーもあとで夫に合流し韓国で子供を生むことが出来るという話でした。
ベンが韓国に到着してからわずか十日後、非武装地帯で武力衝突が発生しました。アメリカ人兵士数名が負傷したため、ベンの所属する医療斑が救援の要請を受けました。

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胸椎に重症を負った兵士が一人いたので、胸部の専門医のベンも退避用ヘリコプターに飛び乗り現地に急行しました。機内で負傷者の治療ができるようにというはからいでした。ほかの負傷者たちも全員乗り込み離陸してまもなく、ヘリコプター が撃墜され、乗組員を含め全員が死亡しました。その朝、スーがペンシルバニアから電話をかけてきました。ショックと恐怖で半分麻痺状態のかぼそい声で、スーはただ一言、「ベンが死んだの」と言いました。私たちは再び大きな悲しみに襲われ ました。でも、今回はこれまでとは違っていました。私たちは夫を失った娘の心中を察して心を痛めながらも、できる限り支えになろうとしました。ベンの遺体が本国に輸送され埋葬されるまでにはそれから二週間かかり、そのあいだに二つの追悼式 が行われました。---中略
新たな悲しみはつねに古い悲しみを思い出させます。愛する者を失うと、時の経過とともにやわらいでいたはずの過去の痛みがよみがえり、前と同じように苦しい思いをします。スーを見ているとジムが死んだとき の苦しみが思い出されました。悲しみというのはとくに夜、猛烈な勢いで襲ってきます。暗闇の中で目を覚ますのは悪夢そのももです。スーが夜中に目をさまして孤独にさいなまれることがないようにと、私はベンが死んでから一ヶ月の間は同じ部屋 で寝て、いつも誰かがそばにいるようにしてやりました。これはごく小さなことですが、それまでの死別の経験から私が学んだことの一つでした。死別の経験はたしかに私たちに何かを教えてくれます。---中略

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ベンが亡くなってから五年後、母が脳卒中の発作で倒れました。それは母がもっとも恐れていたことでした。身体の自由がきかなくなることは、母にとって この世の地獄に等しかったのです。八十一歳のそのときも、母は六十歳の人間でもたいがいは疲れ切ってしまうような忙しい毎日を送っていました。
Page 23
私の死別体験 4
---中略
そのとき私は母がよく言っていたことを思い出しました。「車の運転ができなくなったら、もうこの世にさよならしたいわ」さまざまな思いが頭の中を駆け巡り、私は涙をこらえることができなくなり部屋を出て、廊下で一人泣きました。 そのあと気を取り戻した私は、母との約束を守らなくてはいけないと思い直しました。病室に戻って「母さん、何があったかわかっている?」と聞くと、母はとぎれとぎれに「ころんだんだよ」と答えました。母が自分の状況を完全に理解していないこと を私はそのとき知りました。母は自分が脳卒中の発作で倒れたことは知らなかったのです。私は心の動揺を隠しながら「母さん、違うわ、母さんは脳卒中の発作で倒れたのよ」と言い、それから急いで「でも、リハビリをすればきっとよくなるわ。 みんな母さんならそれができると思っているわ。もちろん私もよ」と付け加えました。心の中で私は「どうかやってみてちょうだい。お願い、私のために・・・」と祈ってました。

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いま、振り返ってみると、母はあのときに死を決意したのだと思います。自分に起こりうる最悪のことが起こってしまったのですから・・・。あのとき、母は脳卒中による麻痺を克服するための長くつらい時間を耐えぬくのはやめようと心に決めたのです。 私の言葉に対し母は返事をしませんでした。その後も二度と口をきくとこはありませんでした。あのときからずっと、母と私はただ手を握り締めることによって意思を通じさせました。母は二度と目を開けることもありませんでした。
Page 30
私の死別体験 5
1988年、夫のハーシェルが亡くなりました。のちの解剖で、肺にできた大きな癌が気管支まで転移し、それによって体力が奪われ呼吸が妨げられていたことがわかりました。私たちはその三年前に離婚していましたが、書類上そうしたというだけで、あいかわらずよき友人として付き合いを続け、休暇は子供たちをまじえてみんなで過ごしていましたし、電話でもよく話しを していました。私たち家族にとってハーシェルの死は予期せぬ出来事でした。
ハーシェルは肺気腫という病気をかかえていましたが、それ以外はまったくの健康体でほかに病気らしい病気にかかったことがありませんでした。ただ、若い頃はいつも筋骨隆々と していたのが、肺気腫で呼吸が浅くなった後はそういうわけにはいかなくなっていました。でもハーシェルはそう言った問題をかかえながら生きる方法をしっかり学んでいました。---中略
その後、家で「風邪」からの回復を待つあいだにハーシェルの 呼吸はどんどん苦しくなり、やはりかかりつけの医者に診てもらうことになりました。医者は彼の胸に聴診器をあてるとすぐに緊急入院を手配しました。肺炎でした。肺気腫を患っている人間には致命的な病気です。

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病院での治療はうまくいき、ハーシェルは二週間後に退院しました。元気も多少出て、あとは家で治療すればいいということになったのです。抗生物質はその効果を充分発揮しました。・・・少なくともその時の私たちはそう思いました。でも、 家に戻ってもなかなか体力も気力も回復しませんでした。それどころかどんどん弱っていき、病院に戻らなければならなくなりました。レントゲンには何も写りませんでしたが、何かが呼吸のさまたげとなっているようでした。気管支鏡を使った検査 が行われましたが、何も見つかりませんでした。---中略
あちこちに散らばっていた娘たちもこの頃には父親のもとに駆けつけていました。でも、そのような事態になってもまだ、だれもそのときいったい何が起こっているのかわかっていませんでした。 ハーシェルは一言話すたびに体力を消耗していきましたが、かといって筆談で意思を伝えるだけの体力も残っていませんでした。---中略
私たちは病室で一晩中彼を見守りました。入ってくるのは一時間おきにモルヒネと精神安定剤 の注射を打つに来る看護師だけでした。私と娘たちは時折いっしょに瞑想にふけり、ハーシェルの人生と自分たちの人生について静かに思いをめぐらせました。静まり返った病院の一室でのこのひとときは、私たちにとって神聖で特別な時間でした。 私たちは涙を流し、肩を抱き合いなぐさめ合いました。そして、夫であり父親であったこの勇敢ですばらしい人物に一人ずつ別れの言葉を告げました。翌日の午前十一時を少しまわった頃、ハーシェルは息を引き取りました。

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Page 35
私の死別体験 6
これまでの人生で経験した愛する者の死から私は何を学んだでしょう?
ジムの死からは、つらく悲しい気持ちを拒否することはできないということを学びました。人生における苦しみを乗り越える方法はいろいろあります。でも、失った 人との結びつきが非常に強かった場合は、死別後の苦しみはどうしても避けられません。
ベンの死によって、私はやっと儀式の持つ力に気付き、悲しみに満ちた死の直後の時期を乗り切るのにそれがどんなに役立つかがわかるように なりました。この時期、儀式は嘆き悲しむ私たちを固く結びつけてくれるような気がします。ベンが亡くなってから、一週間ずつあいだをおいて行われた三つの追悼の儀式は目標を与えることで私たちの気持ちを一つにする役目を果たしてくれ ました。「この式を何とかやってのければ、次も何とか乗り切れるだろう・・・そしてその次も・・・」私たちはそう思いながらつらい時期を乗り切りました。
母の死からは、愛する家族の死そのものや埋葬などの儀式に関して遺族が決定権を 持つことの重要性を学びました。母の病気の治療に関してはほとんど何もできなかった私たちには、何かほかの形で母の死に「参加する」必要がありました。母と共に斎場まで霊柩車に乗っていくことで、私たちは何か特別なことをしていると 感じることができ、母と何かを分かちあっているような気持ちになれました。
ハーシェルの死からは、家族の病気や死に大きく関わることができれば死別の悲しみは耐えやすくなるということを学びました。死に対して素直になること、戦うのでは なく受け入れる姿勢で死に対することで私たちの感じる怒りや罪の意識がやわらぎ、その結果、苦しみも少なくなります。
私は死別の悲しみに関する研究を始めるに当たって、一つの大きな疑問を持っていました。それは、「どうしたら 死別の苦痛を和らげることができるか」という疑問です。この問いに対する答えの一部は、人生の重要な部分の一つとして死をしっかりと受け止めることにあると思います。死が人生の一部であり、もしかしたら今生きているこの人生よりも しあわせな部分かもしれないと信じることができたら、死をもっと簡単に受け入れることができるでしょう。反対に、死を人間に下される最後の罰だと考え、死を否定し、忌み嫌い恐れ続けていたなら、死別の悲しみは長くつらいものとなり 遺族が病気にかかる割合や死亡率の高さはいつまでも変わらないでしょう。

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以上がいわば私の「死別体験の履歴」です。振り返ってみると確かにつらく、遠い道のりではありましたが、いまになってみると自分が悲しみの淵から癒しへ、そして再生へと歩んで来た道を一歩一歩たどることができます。悲しみを乗り越える ためには、いま自分が悲しみのプロセスのうちどの段階にいるかを知ることと、いまの自分は他人あるいは自分自身からどのような助けを必要としているかを知ることが大切です。その際、この本が多少なりとも助けとなることを願ってやみません。
Page 39
死別の悲しみ
死別の苦しみは想像をはるかに超える。それは自分ではどうすることもできない混乱した精神状態に限りなく近い。だから、私たちは無慈悲に襲ってくるその苦しみから自分を守る方法を考え出さねばならない。私たちは恐れを感じる。 悲しみに身を任せてしまったら、大きな津波に巻き込まれて海底深く引き込まれてしまったかのように、二度と正常な精神状態に浮かび上がって来られないのではないかと。 キャサリン・サンダース

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Page 48
死別の悲しみは
人間を成長させる
死別の悲しみが大きいことの一番の理由は、自分が愛し、かけがいのない存在となっていた人をあきらめなければならないということです。愛する人を失うことは相手との間に存在していた一体感と、かけがいのない愛情の源そのものを 一度に奪われることを意味します。
私たちは絶望、恐怖、孤独の中に一人取り残されます。そして、愛する人を取り戻したいという、決して報われることのない願いが絶え間なく頭に浮かび、苦しみ続けるのです。
死別ははらわたを ちぎられるような苦痛も生みます。それは足を切断されるのに似ているかもしれません。足を切断された直後は、むき出しになった傷口の激しい痛みを何とかしなければなりません。傷の痛みを和らげる薬をさがすあいだにも、身体の奥深く まで針で刺すような痛みが襲います。
このような最初の痛みがおさまると、傷はゆっくり回復していきます。そのあいだ、私たちは傷に充分な注意を払い、手当てをしなければなりません。それと同時に、私たちは足の一部を失うというこの 悲劇に何か意味を見出そうと努力を始めます。
体力が少し回復すると、私たちはよろめき、ときにはバランスを失って倒れそうになりながら、残された一本の足で歩くことを学びます。そして何とかふたたび立ち上がるようになり、最後には 義足を使うことを学び、どこから見てもほかの人と変わりなくうまく動き回れるようになります。

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でも外見的には前と変わりなくても、内面的には私たちは まったく別人になっています。つらい体験は人間そのものを変えます。この試練を乗り越えてそこから何かを学び、成長することができれば、私たちは前より強い自分に生まれ変わることができるでしょう。
Page 55
悲しみから逃げずに
正面から立ち向かう
死別後の大きな悲しみから逃れる方法はありません。何かほかのことをやって気持ちを紛らわせようとしても、悲しみが消えてなくなることは決してないのです。悲しみは姿を隠してじっと私たちを待っています。私たちはそのことにいずれ 気付くとこになるでしょう。
怒りや罪の意識、心の痛みは私たちがそれを否定しようとすると、かえって長い間私たちを苦しめます。そういった感情に抵抗したところで、悲しみが襲ってくる時期を遅らせ、死別のプロセスをいたずらに引き 延ばすだけです。
愛する人を失った人の仲には、つらい思い出をいつまでも繰り返し思い出すことが故人を忘れないでいるひとつの方法だと考えている人もいます。少なくとも思い出だけは残っていて、つらかろうが何だろうがそれを 思い出すことで故人を忘れないでいられるというわけです。
私たちは悲しみを乗り越えることで大切な思い出までも失ってしまうのではと恐れます。でもこの恐れはまったく見当違いです。悲しみを乗り越えた時、私たちは亡くなった人の 人生について新しい見方ができるようになり、それと同時に自分自身の人生に新たな意味を見出すことができるようになるのです。

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Page 94
死別の体験は
死への恐怖を生む
愛する人を亡くしたあとの悲しみの時期には、ふだんよりも恐怖心が強くなります。この恐怖は実に奇妙な側面をもっています。つまり、私たちはこの時期、「自分に何が起ころうとかまわない」という気持ちになっているのに、その一方で 「何かが起こってひどい目にあうのでは」と恐れるのです。このような恐怖心の一因は、愛する人を失ったために以前よりも死を身近に感じるようになったところにあると思われます。
私たちは愛する人とともに自分の一部も死んでしまった ように感じます。今でも覚えていますが、ジムが亡くなったあと私は毎日車でタンバ・ベイ・ブリッジを渡りながら次のように思いました。「このまま車が橋の欄干を越えていってしまえばいいのに。そうすれば少なくともこの苦しみからは逃れなれるのだから」
それなのに、ほかに何かするときにはとくに安全に気をつけるようにしていたのです。自分のこのような反応にどんな意味があるのか、当時の私にはまったくわかりませんでした。でも、その後、私は次のように考えるようになりました。 愛する人を失ったことで私たちはおそらく生まれてはじめて、自分たちが死に対して無力であることを認識させられるのだと、つまり、私たちは愛する者の死によって、死がほかの人だけでなく自分たちにも起こり得るし、いつか必ず起こるものだと 知るのです。

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Page 110
人生には自分ではどう
しようもないことがある
私たちは、これ以上何も自分にできることはない、あるいは何をしたところで状況を変えることはできないという事態におちいると、「自分ではどうしようもない」とう無力感に襲われます。私の場合。「状況を自分でコントロールできる」 と感じることが人生においてひじょうに重要な意味を持っていました。
そのため、息子が亡くなったあとの無力感は、私の悲しみをいっそう耐え難いものにしました。さらにその無力感からくる大きなフラストレーションが私を絶望に おとしいれました。これから先はもうどんなことも意味を持たなくなったのだと私は確信していました。息子を失ったという事実はどんなことをしても変えることはできません。ジムは逝ってしまい、私が何をしようと取り戻すことはできない・・・ 私はすべてを奪われ、空っぽになってしまったように感じました。まるで、空気の入った実物大のビニール人形から次第に空気が抜けていき、最後にぺちゃんこのビニールのかたまりとなって床にころがっているようでした。
死別の悲しみから 私が最初に学んだことは、人生にふりかかるさまざまな出来事の結果は自分ではコントロールできないものだということでした。

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コントロールしようとする気持ちをなくせば 、それに反比例してより多くの自由を得ることができます。その自由とは、自分の人生を生き、まだ自分の周りに残っている人たちを愛するための自由です。このことをはっきりと知るためには時間がかかります。いまでもまだ私はそのための努力を 続けています。
Page 111
エネルギーの消耗から
脱力感を感じる
悲しみのプロセスのこの段階では、身体にまったく力が入らず風邪にでもかかったかのように感じることがあります。私たちはふだんの生活ではエネルギーの消耗しきるという経験をあまりしないため、自分がこのような状態になると恐怖や 当惑を感じます。愛する人を亡くす前は、そんな状態になるのは病気になったときだけだったからです。
いまでも覚えていますが、私もソファの端に腰掛けて何時間も宙を見つめて過ごしていた時期があります。何かしようなどとは考えも しませんでした。数ヶ月後には何とか少しずついろいろなことができるようにはなりましたが、心ここにあらずという感じでした。
掃除機を出しあと、それを手にとることもせずにそこに座り込んでじっと見ているだけのこともあったとあとで聞かされ ました。それまで元気よく健康な生活を送ってきた人間にとって、このような脱力感はすでに十二分に感じている無力感に拍車をかけます。

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Page 114
免疫機能の低下によって
病気に罹り易くなる
深い悲しみの時期が長く続くとさまざまな病気に罹り易くなります。長期間ストレスにさらされていると副腎質ホルモンの分泌が増え、その過剰なホルモンが身体の免疫機能を抑圧し病気に罹かかる可能性を大きくするのです。ときには 重病に罹って死ぬことさえあります。
死別の場合、その一連のプロセスは次のように進みます。身近な人が亡くなると私たちは不安になり警戒心が強くなります。もうどこにも安全な場所はなく、人生が自分の力ではコントロールできなく なったように感じるのです。そのためには自分の中に防御壁を築き、何に対しても異常なほど警戒します。
次に抵抗の時期がきます。この時期に私たちは目の前にある状況に何とか適応しようと試みます。私たちの身体は自らを建て直し いくらかでもバランスを取り戻そうと抵抗を続けます。でも、悲しみのストレスが長く続く場合はいつまでたっても回復の機会が与えられません。このようにしてエネルギーの源が枯渇してしまい、病気に罹り易くなります。ときには死を招くことがあります。
愛する人をなくしたあと、自分の身体は特別な気遣いをする必要があるのは以上のような理由からです。でも、私たちはここで矛盾に直面します。つまり、この時期には身体からどんな危険信号が出されようと。自分のことを気遣う気持ちに などなれないということです。私たちが考えることはただ一つ、愛する人のことと、今は完全に失われてしまった過去の人生のことだけなのです。

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Page 116
思い出の反芻によって
次第に現実を認識していく
故人への思いはほとんど絶え間なく、繰り返し襲ってきて私たちを苦しめますが、この反芻作用は悲しみを癒す作業の中で大切な役目を担っています。前に、悲しみを癒す作業とは愛する者の死を受け入れる、つまり死別以前の状況 を取り戻すことはできないのだという事実を受け入れることだいうお話をしましたが、人生が前と同じに戻ることは決してないことを受け入れるためには、そのことを繰り返し知る必要があります。
私たちの心はすばらしい働きを持っています。 それは、心が「対処したくない」と思ったことを自然に排除する機能です。愛する者の死をすぐに実感することができないのはこのためです。
愛する者が永遠に失われたことを感情的に理解するには時間がかかります。でも、どんなに切望 しようと何度夢に見ようと、愛する者が死んでしまったという事実は変えようもなく、容赦なく私たちを襲います。こうして繰りかえし現実を突きつけられていくうちに私たちは次第に愛する者の死が絶対的なものだという事実に直面するのです。

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愛する者の死の実感は私たちの心の中でゆっくりと芽を出します。かっては愛する者と分かち合っていた生活を今度は一人で送るうちに、私たちは故人と 切り離された自分自身の人生の新たな出発点を見つけ始めます。死が現実に起こったことであり、もはや変えることのできない永久的なものなのだということを実感してはじめて、私たちは再出発するためのスタート地点に立つことができるのです。
私たちはこれまで当然と思っていたことやものが、もはやそこにないことを知らなければなりません。この何もない場所から新たに出発し、何とかして世界を意味と目的を持ったものに作り変えなければならないのです。

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思い出の反芻によって
次第に現実を認識していく
故人への思いはほとんど絶え間なく、繰り返し襲ってきて私たちを苦しめますが、この反芻作用は悲しみを癒す作業の中で大切な役目を担っています。前に、悲しみを癒す作業とは愛する者の死を受け入れる、つまり死別以前の状況 を取り戻すことはできないのだという事実を受け入れることだいうお話をしましたが、人生が前と同じに戻ることは決してないことを受け入れるためには、そのことを繰り返し知る必要があります。
私たちの心はすばらしい働きを持っています。 それは、心が「対処したくない」と思ったことを自然に排除する機能です。愛する者の死をすぐに実感することができないのはこのためです。
愛する者が永遠に失われたことを感情的に理解するには時間がかかります。でも、どんなに切望 しようと何度夢に見ようと、愛する者が死んでしまったという事実は変えようもなく、容赦なく私たちを襲います。こうして繰りかえし現実を突きつけられていくうちに私たちは次第に愛する者の死が絶対的なものだという事実に直面するのです。

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愛する者の死の実感は私たちの心の中でゆっくりと芽を出します。かっては愛する者と分かち合っていた生活を今度は一人で送るうちに、私たちは故人と 切り離された自分自身の人生の新たな出発点を見つけ始めます。死が現実に起こったことであり、もはや変えることのできない永久的なものなのだということを実感してはじめて、私たちは再出発するためのスタート地点に立つことができるのです。
私たちはこれまで当然と思っていたことやものが、もはやそこにないことを知らなければなりません。この何もない場所から新たに出発し、何とかして世界を意味と目的を持ったものに作り変えなければならないのです。

出版関連の方へ 当サイトにて、運営者情報が購読した書籍の一部分をグリーフケアの一環として引用掲載させていただいております。万一、著作権等におきまして問題の場合はご一報頂ければ関連部分は即刻削除させて頂きますのでご連絡をお願い致します。
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