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喪失体験の始まりを語ります

運営者の喪失経験の始まりを語ります。
2016年8月 近くの医院にて、内視鏡による胃の検査を受けた。医師が私のみを呼んだので、こころに不安がよぎった。不安は的中した。医師の診断は食道がん、しかもステージ4とのこと。至急大阪市立大学付属病院への入院手続きと精密検査を手配してくれた。
2016年9月 大阪市立大学付属病院入院、そして精密検査をするが結果はやはり食道がんだった。ステージも同じ4。余命4ヶ月の診断。頭が真っ白になる。現実が受け入れられない。
妻は余命を聞いていないが、がんという病名は聞いている。
2016年10月 食道がんの抗がん治療が始まった。抗がん剤治療4クール、放射線29回の予定。抗がん剤の副作用は辛く、いつも体がだるいと言っていた。放射線も17回目に異変があった。放射線治療後に妻が全身痙攣を起こした。医師の話では、以前妻が脳梗塞を 起こした事があり、その影響かもしれないと言っていたがその後、身内で相談しあって結局抗がん剤と放射線治療を中止することに決めた。
治療中止後も副作用は止まらず、体のだるさを訴えていた。医師は妻の症状が少しでも軽くなるようにと 高カロリー輸液の点滴用のCVポート(中心静脈カテーテルの一種で、正式には皮下埋め込み型ポートといわれるものです)を妻の胸に埋め込んだ。しかし、このCVポートは、今から考えると全く意味の無い医療行為であった。高カロリー輸液をCVポートで点滴をするが CVポートに点滴の針を刺す時の痛みがかなり辛い様子だった。看護師の腕にもよるが、私からみていても本当に辛そうで堪らない気持ちになった。後程、知ったことだが、この高カロリー輸液の点滴は、妻のようにステージ4の状態では逆に栄養過多になり、体のだるさがとれるどころか だるさを増強したり、体に余分な水分が溜まり、胸水、腹水の原因にもなり、効果よりもデメリットの方が多いと知った。そうこうしている内に医師はリハビリ転院を提案してきた。体がだるい状態でリハビリ転院はないだとうと思ったが、入院も3ヶ月目になろうとしている 状況から転院は仕方がないかと、医師の提案通りリハビリ転院することにした。

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2016年11月初旬
大阪住之江区
N病院入院
リハビリ転院で住之江区にあるN病院にリハビリ転院で入院したが、この病院で大変な目にあった。N病院では、市大以上に看護師の質に問題があり、CVポートでは何度も針の刺し直しで妻が悲鳴を上げる事もあった。そして一向に妻の体のだるさがとれないので 担当医師に何とか緩和できないものかと尋ねたら、「データ的には以上がないのでなんともありません」と、怒鳴られた。呆れてしまった。しかも夜勤の看護師の中には、日本語の通じない外人の研修看護師らしき人がおり、何度か言葉が通じず 困った事があった。そこで、もうN病院には、任せておけないと緩和病棟のある病院をインターネットで探し急遽転院をこちらから申し出た。
2016年11月11日
湯川胃腸病院に入院
大阪は桃谷にある湯川胃腸病院に入院した。緩和内科がある胃腸専門病院である。ここに入院できた事により、妻の余命も6ヶ月伸びた。入院当初のみ高カロリーを行ったが、担当医師は妻の状態では高カロリーは代謝できないのでやめた方がいいと言った。 私の予備知識を持ってしても同じ考えであった。この医師なら安心して妻を任せられると思った。また、看護師の方々も緩和病棟らしく対応が行き届いており、しかも親切で本当にほっとしたのを覚えています。
2016年11月中旬 高カロリー輸液を中止したとたん体力回復、しかもだるさもまったくなくなった。その後は食欲も回復し、何でも好きなものが妻の喉を通るようになった。いつまで続くか予測はできなかったが、とにかく好きな物を食べることが出来る妻を見て、うれしかった。

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2016年12月 驚くほどの食欲が妻に出てきた。本当に何でも食べることができるようになった。そしてこの病院では季節毎にイベントを催してくれた。クリスマスには担当医師がサンタになり、看護師の方も全員サンタ服になり、ボランティアの人が賛美歌を歌ったり、プレゼントには クリスマスケーキまで用意してくれる程、用意周到の対応だった。そして、私も12月31日の大晦日から妻の病室に24時間介助の泊まりこみをする事になった。
2017年1月1日 お正月、妻とのお正月はこれが最後かも知れないと思うと、すごく切なくなった。でも、病院では食事に御節料理を用意してくれた。うれしかった。まさか病院で御節をたべれるとは考えていなかったので、本当に妻と一緒に喜んで戴いた。 看護師の方も本当に行き届いた看護をしてくれた。週に一度、数時間だけ家の様子見と植木の水やりに戻るのも安心していけた。妻の状態も今は、すごく穏やかである。このままいつまでも続いてほしいとここから思った。
2017年3月 やはり病魔は静かにはしていなかった。妻が少しづつではあるが、喉の通りが悪くなってきた。食べて少し時間が経過すると戻す、その繰り返しがはじまった。私のこころは不安で一杯になった。それにがんになると便秘が付き物らしいが、妻の便通が 極端に悪くなり、お腹の辺りが痛いといいだした。医師がいち早くCT検査をしてくれたので、腸閉塞を免れた。お腹の中は腸閉塞寸前の状態だった。

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2017年4月 食べては戻す時間の間隔が、だんだんと狭くなり4月に入ってからは、食べてはすぐに戻すようになった。しかし、妻はそれでも食べては、おいしい、おいしい、といいながらすぐに戻す、何度も何度も繰り返す食事になった。体に栄養が行かないのか 体が痩せ細り、見るのも辛い状態になってきた。担当医師は、水分だけ補給の意味での点滴を、足の太ももから入れる皮下点滴を開始すると言ってきた。
2017年5月 5月に入ってからは、食事が全く受け付けなくなってきた。それでも妻は食べると言う。一時でも喉越しがいいのかノンアルコールを好んだ。勿論、飲んでも戻すのだが、それでもほしがるので何度も何度も飲ませる。ある時、私も看病疲れからか ついに、妻に言ってしまた。「何度のんでも、戻すのだから、もうこの辺でいいだろ」って、この言葉が私の後悔する唯一の言葉となってしまった。
2017年5月10日 妻の意識が無くなる。ほとんど寝ている状態になった。私が最後に後悔の一言を言ったばっかりに罰があったのかも知れないと感じた。本当に辛い気持ちになる。
2017年5月14日 妻の血圧が低下し始める。看護師から早急に親戚等に連絡をして下さいとの指示が出る

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2017年5月15日 妻の血圧が上が60になり、何かを私に伝える仕草をしたかと思うと、そのまま息絶えてしまいました。永眠、享年75歳 後2ヶ月で76歳の誕生日を迎えるところでした。

喪失体験

緩和病院での治療について

妻は、食道がんが見つかってから、永眠するまでの9ヶ月と15日の間、5ヶ月と15日間を緩和病院で治療を受けたことになります。緩和病院へ転院してからは注射や点滴をする時以外殆ど痛みを感じていません。そして注射や点滴も殆ど ありませんでした。やはりがんの末期には過度の治療などは逆に患者への負担となり、痛みを増幅するのではないのでしょうか。幸い妻は、がんの週末医療に付き物のモルヒネも一切使うことなく、穏やかな終焉となりました。 これもひとへに緩和病棟の医師及び看護師、スタッフの方々の患者への愛情の賜物ではないかと感謝しています。

緩和病院(ホスピス)の重要性

がんになれば標準治療として、抗がん剤、放射線などの治療が行われますが、末期のがん治療に本当に必要かと考えさられます。型どおりの治療よりも、がん患者の状態により緩和治療、またはホスピスの重要性をもっと患者自身も含め家族も 真剣に検討するべきではないかと、妻の治療を傍で見ながら思いました。

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CVポートや胃瘻(いろう)は必要か

中心静脈カテーテル 中心静脈カテーテル(central venous catheter:CVC)には、短期用、長期用、埋込み式、PICCなど様々な種類があります。粘性の高い薬剤や刺激性の強い薬剤を血流が豊富な中心静脈へ運ぶためのカテーテルです。
妻が抗がん治療で体力が落ち、体力回復のために使用するとの目的で高カロリー輸液点滴用のために埋め込み手術をしました。「胃瘻(いろう)胃に食べ物を直接入れるためにチューブ用の穴をあける処置」医師からは胃瘻にするかポートにするかの選択を迫られましたが、今、考えると どちらも本当に必要はなかったと言い切れます。なぜなら末期症状で食べられない状態は体自体が食べ物を受け付けられない状態であり、栄養を取っても自身で代謝できない体になっていると言う事です。不必要な成分は体に蓄積して胸水や腹水などの原因にもなり 体の負担となります。
実際に高カロリー輸液は数回行っただけです。理由はあまりにも針を刺すときに、痛みがあり、しかも妻の場合は私もこの目で目撃しましたが、市大で2回失敗して刺したのが2回、N病院ではなんと3回失敗が1回、2度失敗が2回目撃しています。 その結果妻はCVポートへの点滴にはトラウマとなり、拒否するようになりました。私にもっと知識があればあんな思いをさせなくてすんだのにと後悔するばかりです。しかもCVポートのプロモーションCD(手術をする前に見ておくように言われたビデオCD)によると針を刺すときも 全く痛みの無いかのような内容になっており、これならいいかと思ってしまいます。しかし実際は全く違います。なぜあんなプロモーションCDを見せたのか疑問に思いました。

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患者側も知識をもとう

患者自身、または家族も医療知識をもっと持つべきだと思います。私も普段からサプリメントや栄養には気を使っていましたが、まさか妻が、がんになるとは思ってもいなかったので、がんに関する知識は皆無でした。 知識がないと、医者のいいなりになり、高い医療費を払いまったく必要のない手術や薬を、または必要のない治療まで行われてしまいます。

緩和治療をもっと知ろう

がんの末期と診断された場合、治療で治る見込みのある患者さんは勿論治療を受けるべきですが、本当に最終段階だと判断した場合は緩和治療を選択すべきだと思います。治療しないことイコール見捨てる様な風潮がありますが、 決して見捨てるわけではありません。過度の治療は何度もいいますが、体の負担を招くだけです。私も、自分の頭がはっきりしているうちにエンディングノートに最終段階になった場合は不必要な延命措置はしないで緩和治療をする主旨を 明記しておこうと思います。

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